2007年 02月 18日

硫黄島訪問記 4

これより前の記事を見る場合はこちらをクリック 硫黄島訪問記 



1986年6月

擂鉢山山頂付近
b0019557_1534859.jpg
ひしゃげたコンクリート製の構造物はトーチカの残骸か...


とても暑い日だった。
日差しを遮る物何一つ無い道を、ボクらは歩いた。
たくさんの汗をかく。
氷を入れたヤカンの水はすぐにお湯になり、ぞの温かい水をかわりばんこに飲む。
水が無くなっちゃうから少しづつだぞ!って、お互いに言いあいながら。



上の画像より少し左を見る
b0019557_1541799.jpg
トーチカというより雨水タンクのようにも見える


そう、ヤカンの水はあっという間に無くなった。
川も井戸もないこの島で手持ちの水が無くなるということは、極端に言えばそれだけで死を意味する。
ボクらはたかだか半日の我慢。
しかし兵士達は死ぬまで我慢...


舗装こそされていないが立派な自動車道があり、擂鉢山の麓までダラダラとおよそ2時間で着いた。
その道は擂鉢山山頂まで続く。
暑さですでにへばっているボクらは、その急な上り坂見て顔を見合わせる。
だが登るしかないのだ。
言葉少なく皆で歩き出す。




山頂
b0019557_1630493.jpg
バテバテである
たかだか2時間少々歩いただけ、それだけなのにもうみんな動かなくなった。
各自が持っている水色のビニール袋は、料理長の心づくしの弁当入れ。

こんなに明るい太陽に下、この山で、日米の兵士達が殺し合いをしたとは思えない。
またボクらが弁当を食べるのに相応しい場所とも思えない。
違和感がボクを支配した。



窪地の中には野生化したヤギがいるのだが、この画像では小さすぎて見にくい
b0019557_154306.jpg
そう、この硫黄島訪問記の最初の記事は去年の2月18日、ちょうど1年前だ。
米軍が上陸作戦を行ったのは1945年2月19日。
ヤギのいる窪地も1945年2月18日は猛烈な砲爆撃に晒されていた。
日本の兵士達はこの擂鉢山や道中にあった陣地、そして無数の地下壕に潜っていた。


地下壕を掘るといっても削岩機やショベルカーなどの機械は無い。
すべて人力だ。
ツルハシとシャベルを握り、固い岩を砕き掘り進む。
硫化水素ガスが穴に溜るのでガスマスクを装着し、40度を越える高温高湿の息苦しい中、トンネルをひたすら掘る。
10分も作業を続けるとぶっ倒れそうになるので、次の兵士と交代、そしてまた次の兵士と交代...
そうやって固い岩を砕き、アリのように地下壕を張りめぐらし米軍の上陸に備えていた。
ヤギがのんびり草を食む景色と、あまりにも対照的だ。




山頂より北の方角を望む
b0019557_1544351.jpg
右手前に見えるのは小笠原丸。その先に小さく見えるのは北硫黄島。


そしてその先をさらに北に向かえば、日本本土にたどり着く。
たぶん兵士達が最期に振り返った方角。
その先には故郷が有り、生家が有り、妻子が父母兄弟がいる場所。
硫黄島と日本本土を遠く隔てる海、太平洋。
何としてでも、この海を越えて帰りたかったに違いない。


この日遠く日本から、妻子が父母兄弟が、その海を越えて硫黄島に来ている。
今でも島を守る兵士達の魂が、一番会いたかった人達が船に乗って来ている。
航海の安全を彼等が守ってくれたと思うのは考え過ぎだろうか。
この日の太平洋はその名の通り、鏡のように薙いで太平だった。



よろしければ↓こちらをクリックして下さい
人気blogランキングへポチッとな!
ありがとうございます

by falcon65 | 2007-02-18 16:27 | 硫黄島


<< モヒカンなハンサム君      決戦の日 >>