ぷらぷらカメラ ひトリ歩き

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2007年 01月 08日

硫黄島訪問記 3

正月休みに映画「硫黄島からの手紙」を見に行った。
期待が大きすぎたせいか、見終わって少しがっくりとした。
ストーリーに関しては、それぞれ見る側の受け止め方が違うから感想は述べない。
どうしても気になったのは、旧軍の階級差による絶対的な上下関係を無視したり、
硫黄島における地下壕の過酷な生活環境が描ききれていなかった事だ。

ちょっと穴を掘れば温泉が湧くと言われた硫黄島で、地下壕内の湿度と温度は想像を絶するほど高い。
井戸、湧き水は一切無く、飲み水に欠乏し、食料も医薬品も足りない。
暗い壕内は少しのランプの灯りのみ。
壕内は硝煙と血と、糞尿と硫化水素の匂いに満ちている...
なのに映画の地下壕は広く明るい...

最近のハリウッド製戦争映画のご多分に漏れず、戦闘シーンの迫力は素晴らしい。
戦場で兵士が死にゆく様は真に迫っていると言えるだろう。
どういう事か?
兵士が、もげて、砕けて、潰れて、焼けこげる様子がリアルに描かれていた。
そう、戦場は巨大な人間破砕機...
きれいな死に方は無い。

その戦場だったのが、ここ、硫黄島なのだ。






1986年6月


上陸地点のコンクリート船。
ボロボロにはなっているが桟橋として充分機能している。
日米どちらの船か調べてみたが、資料に乏しくわからなかった。
b0019557_166593.jpg

上陸地点の地図を添付する。
Google Mapより
画面左上「物資揚陸場」がこのコンクリート船の場所
画面を拡大していくと、砂に半分埋もれた船を見ることができる。



員数外のボクらは擂鉢山に向かって歩き出す。
振り返ると沖にブイを取る小笠原丸の姿が見えた。
海は鏡のように静かで、慰霊に訪れた方々を穏やか歓迎してくれているようだ。
地面に黄色い所があるが硫黄成分と思われる。
b0019557_1661662.jpg
小笠原丸が着いたのは硫黄島の西岸。
米軍の上陸作戦が行われた東岸の翁浜とは反対側になる。



上陸地点からの擂鉢山の眺め。
約4kmの道のりを一行は進む。
体感気温は35℃くらい...
快晴、無風。
真夏の直射日光が真上から厳しく照りつける。首筋がジリジリと痛い。
b0019557_1662941.jpg
ボクらの持ち物は氷水の入った大ヤカン1個と各自の弁当。
道中に水は無い。
また、無闇に道路以外の場所へ行かないように注意があった。
道路以外不発弾の処理を行っていないとの事。




途中、「◯◯部隊陣地跡」(名前失念)の道標があった。
車道をそれ、小径をジャングルの奥に入る。
コンクリート製の構造物が緑の中に忽然と表れた。
b0019557_1664977.jpg
日本軍のトーチカの跡。
分厚いコンクリートなのに大きく壊されている。
中にいた兵士は無傷ではいられなかっただろう。
写っている人物は小笠原丸レストラン「アラスカ」の社員さん。
名前はすっかり忘れてしまった。今はもう50歳近いはず...


トーチカの様子。
コンクリートが崩れ砲座を押しつぶしている。
大型爆弾か戦艦の砲弾でも直撃したのだろうか?
これだけ破壊されたら使用不能である。
砲は日本海軍の艦載砲にも見える。当時詳しく写真を撮らなかった事を悔やむ。
b0019557_167211.jpg
砲口の前まで来たが、そこから先へは進めなかった。
トーチカの中へは簡単に入れそうなのだが、とても入れる場所ではない。
この場所でその頃の自分と同じ日本の若者が死んでいったと思うと、とても近づけない気持ちになった。
自分達が面白半分で中に入ることによって、安らかに眠っているであろう英霊を汚してしまう気がしたのだ。
皆で深く頭を垂れ、合掌してこの場所を離れた。



硫黄島では戦後、すべての地下壕が見つかったわけではない。
日米双方の多数の不発弾があり、その危険を無視して調査する事は出来ないからだと聞いた。
ボクらが歩いた足の下にも未発見の地下壕と、その中に閉じ込められた日本の兵士達がいたのかも知れないと思った。
あるいは壕から出て敵弾に倒れ、そのまま島の土となった兵士がこの足の下にいるのではないかと思った。
21900名余の日本軍戦死者のうち、どれだけの遺骨が国に帰る事が出来ただろうか。
遠く故郷を離れ肉親の事を想い、今なお多くの魂が彷徨っているのだろうか。




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ありがとうございます。

by falcon65 | 2007-01-08 18:02 | 硫黄島


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